三連休②

連休2日目。
朝の日課の後、お菓子の試作をして夕方から数年ぶりの再会の約束をしていたので共通の友達が飲食店をしているお店で集まりました。
お互いいつ振りか思い出すのに30分くらいかかったけど、一緒に働いていた頃のままの感じで話が尽きなくてその嬉しい気持ちが胸の真ん中にどしんと座ったままの会話が幸せでした。
みんなありがとね。
そして、それぞれが全然変わってないのだけどそれぞれが頑張っていて何周りもカッコよくなっていて誇らしい気持ちと嬉しい気持ちとありがたい気持ちと後押しされてる感じが胸の真ん中でぎゅうぎゅう押し合って、あっというまの時間でした。
こんなに心が動いたのは久しぶりかもしれないな。。。 私の心はまだ動くんだね。
みんなありがとね。
私の心は私では気づけない壊れ方をしていたものだから、私自身で治してあげなきゃって気付けるのが遅かったようで、時間がかかりました。 (治さなきゃと思ったことや治ってゆくことはまた今度書きますね)
ここに記していいのか分からないけれど書かせてください。
震災の時、みんなの悲痛や不安が感じることができませんでした。 覚えているのは、 「私は生きているのだな」 「何故みんな私の無事を喜んでくれるのだろう?」 「何故私を心配してくれるのだろう?」 と思っていました。
その後、そんな気持ちの私はやはり少しおかしいと思い始めていたようで携帯に気持ちを文章に残していました。
コピペします↓
愛って
なんだろう? どんな感じなのだろう? 私は死ぬまでに感じるのだろうか? 経験するのかな? わからないのに与えられるのだろうか?
人と つきあうことができるのだろうか? 心が凍ってます。 私が死ぬまでに溶けたりすることがあるのでしょうか?
感動自体もう忘れてしまいそうです。 死んでるということと同じなんですね。 私はもう死んでるんですね。 生きかえることがあるのでしょうか? 体が死ぬまでに心は生きかえることができるのでしょうか?
何も感じない。何も。
(原文のまま)
今これを読むと、ごめんね私。 辛かったね。 辛いってのを通り越してたんだよね。 誰にも相談してない私。。。 ホントにごめんなさい。
今はちゃんと話をしてゆこうと思えています。 でも、まだ仮面を被っています。 たくさん寄りかかってくれる人がいたらきっと寄りかかれる。。。 でも、先に寄りかかれてしまうと寄りかかれなくなってしまう私がいます。
もっと私出来て! 出てきていいんだよ!
と伝えます。
昔の友達に会って幸せな気持ちで帰る道すがら、生きていて良かったと思いながらこの文章のことを思い出しました。
まだまだだけど本当の自分を知りたい、見つけてあげたい、いいえ思い出してあげたいと思った夜でした。
久しぶりの日付変わってから眠りました。
感謝の気持ちで眠りました。
みんな本当にありがとね。
続きます。